立派であると言うこと

真の立派さとは人が決めるもの


世の中の不況が ひしひしと身近に感じられ どんなにか日々の生活を圧迫しているのかを実感する此の頃。
新聞やテレビで  毎日報じられているのを 目にもし 耳にもしているが 秋田の隅っこで もともと小さな暮らしをしていると 周囲の環境もあまり変わることもなく それほど強く実感することもなかった。
それが今年に入り 大きな変化が起きてきた。

ホール葬と呼ばれる 各葬儀社の持つ大きなホールで プロの女性司会者が司会をし 生前の故人のプロフィールを紹介し スクリーンには数枚の写真が映され エレクトーンなどで生演奏も行われるスタイルが多い。
尋常小学校を卒業し 農家に生まれ農業一筋であった人や 中学校卒業後 大工として生涯職人の道一筋に頑張った人も 企業経営者や 著名人と変わらない手順と内容で 葬儀が行われる。
変わるところがあるとすれば 会葬者の人数と弔電の数 弔辞奉呈者の肩書である。

人生の終焉を飾る最後のセレモニーとして 人々に広く受け入れられており 毎日地元紙である秋田魁新聞のお悔やみ欄に 各葬儀社のホール葬が葬儀日時と共に掲載されている。
しかし最近はこの数がぐんと減ってきた。
寺葬儀や自宅葬が増えてきた。身内だけで小さく済ませるようになり 葬儀社にも <火葬だけでいいからとの注文>も多くなってきたようだ。

その数少なくなってきた葬儀を大切に務めようとスタッフ一人一人が懸命に応対する中で 困った事態が出来した。
それはごく普通の仏葬の手順でおこなわれていた。
葬儀の進行は祭壇に向かって右端の僧〈脇導師〉が <開式の辞> <ご焼香> <弔辞・弔電> <喪主挨拶 ><閉式の辞>と発声し進行する。

いつもそれぞれの僧によって 声の善し悪しや 聞きやすい読経や?な読経 等の違いはあっても 順調に進行し大概45分 長くて一時間で葬儀は終わる。

この日もいつもどうりにスタートしたが 右端の脇導師が〈焼香〉と発声し 喪主が焼香に歩き出した時 真ん中の導師が大声で怒鳴った。
〈黙れ!まだ焼香ではない。儂の経がまんだ残っとるんじゃ!!〉

喪主様も固まり 若い僧も蒼ざめ ホール中に不快な緊張が走った。
その中をほんのニ・三行の経文を追加し終わると自分で〈焼香!〉と怒鳴り 一同委縮したようなご焼香と弔辞・弔電と進み 長く長く感じられる葬儀がやっと終わった時 スタッフ一同疲労困憊。

不況の中を大枚をはたいて行われる 遺族の精一杯の 故人への思いの表した方としてある葬儀を 一介の僧侶の無分別な 短絡的行為によって台無しされた無念さを どうお慰めすればよいものか 掛ける言葉もなく 嫌な後味だけが残る葬儀となった。

お斉〈おとき〉の時間になって やっと周囲の異様な緊張に少し気が付いたらしく〈いやぁ こいつもまだまだ修行が足りんから へへへへぇ~〉と若い僧を指差して笑ってごまかした。そこなの?
どこまでも不快なレベルの低さに言葉を失う〈気も失いそうだった〉


数年前に 同じご葬儀であっても 大変後味の良い 清{すが」やかなご葬儀を体験した。
それは神葬祭で行われたご葬儀であった。
元来の日本は古事記なども編まれている位 神道の国だと思うが 年間行われるホール葬儀の八割くらいが仏葬で神葬祭は一割にも満たない。
手順や作法など 司会者としての緊張は有るが 漢文で語られる仏葬に比して 大和言葉で流暢に語りかけるような優しさと 解り易さがあり 良いものだなぁと私は個人的には思っている。

その葬儀の時 仏葬であれば導師の焼香にあたる 斎主の玉串奉奠「たまぐしほうてん」の時の事である。
斎主が玉串を奉奠された後で 喪主・親族と司会がお名前をお呼びしますので ご順序にお進み下さいと 事前に説明してあり 歩きかたや 玉串の捧げ方などの作法も 全て予行演習もしていたにも拘らず 喪主様が斎主よりも先に立ちあがり竹で作られた結界の中に進んでしまった。

しかしこの時 席に戻らせることもなく すっと玉串を手渡され 喪主様が玉串を捧げた後で 斎主が進まれた。そして何事もなかったように恙無く式が終わった。

式終了後 スタッフ一同 〈私たちの口が足りなかったようで申し訳ございません〉斎主・斎員のお部屋にお詫びに伺った。
その時に斎主がにこやかに仰いました。〈いやぁ 誰が先でも後でも構わないこと。人間のすることだから。本来ならば故人に一番近い喪主が初めのほうが 亡くなられた方は喜んでおいでだと思います。故人を送る心が大事なのであって順番などは有りませんからね」・・・・素敵。全くの同感だ。

こういう時に人間の度量や 導師とか斎主と言われる肩書きではなく 真の人間としての立派さが 証明されるのだとしみじみ思った。

真のリスペクトとは 人を威嚇したり恫喝したりして 自分の力や立場を誇示して得るのではなく 何かの事態が起きた時に その発言や対処の仕方に対して 周囲の人が認めるもの 抱くもの であることをしみじみと考えさせられたものだ。

奢ることなく生きて行きたいものだ。
ブログ欄で葬儀の文字はタブーなのかもしれませんが 勘違い大臣の日本中のB型血液型の人に迷惑をかけながらの 反省のかけらもない〈謝罪スタンス会見〉等 周囲が認めるのではなく 自分で自分が立派だと勘違いし続け横柄な態度を取り続ける人がいることの残念さと 人間ゆえに陥り易いことへの自戒の念も含めてテーマと致しました。御不快に思われる方がいらっしゃいましたら どうぞお許しくださいませ。


拙いブログを最後までお読み下さって有難うございます。
毎週火曜日に更新しています。次回は七月十九日です。どうぞご覧くださいませ。    
 

コメントの投稿

Secre

No title


 相馬先生、おはようございます。

 本当にそれは後味の悪い葬儀でしたね…長年修行をしても未熟な僧にあきれ果ててしまいます。あまつさえ自分の行動で静まり返ったのに、若い僧が粗相をしたからと勘違い(責任転嫁)する愚かさ…まさにKYとはこのことですね。喪主の方は本当に不快だったでしょうに。

 それに対して後味の良い話は心温まりました。こういう時に人間の質が出るんですね。真の立派さとは何かをかんがえさせられたエピソードです。

 ちなみに立派の語源には、僧が一派を立てる意味の「立派」に由来する説と、仏教語の「立破文明」に由来する説があると昔何かの本で見た記憶があります。どちらが正しいのかは分かりませんが、僧の一派の例でいくとその葬儀の僧は「立派」ではありませんね(笑)

 悪事を指す場合、「それは立派(りっぱ)な犯罪だよ」という表現がありますが、このような用い方は正しいのでしょうかね。悪事や犯罪に「立派(りっぱ)な」というのは違和感を感じます。「れっきとした」であれば、すんなり受け入れられるのですが…まあ、「犯罪が立派だ」ということではなくて、「犯罪という解釈をするのに、立派な根拠がある」という意味として考えればいいのかも知れませんが。

 ちょっと脱線してしまいましたね(汗)日本語って難しいです。

ラスティ・ネイル様へ

ラスティ・ネイル様 

いつもコメントを有難うございます。

お陰さまで 皆さまのコメントが大きな励みとなって 今日も何とか更新することができました。

>こういう時に人間の質が出るんですね。真の立派さとは何かをかんがえさせられたエピソードです。

まさに 仰る通り<人間の質>ですね。言い得て妙。私の胸中にあったのは この言葉だったのかもしれません。

> 悪事を指す場合、「それは立派(りっぱ)な犯罪だよ」という表現がありますが、このような用い方は正しいのでしょう> かね。悪事や犯罪に「立派(りっぱ)な」というのは違和感を感じます。「れっきとした」であれば、すんなり受け入れ>られるのですが…まあ、「犯罪が立派だ」ということではなくて、「犯罪という解釈をするのに、立派な根拠がある」と>いう意味として考えればいいのかも知れませんが

ラスティ・ネイルさんも 言葉に関する感性が敏感で 身近な例を用いてお話をして下さるので 興味深く拝見しながら
新しい解釈や 使われ方を知ることができ 大変勉強になります。

悪事の修飾語に 立派が使われるのは 思い付きもしなかった論外の使用法ですが 最近の若い方や芸能人が確かによく口にしていますね。本当に勉強になりました。有難うございます。(*^_^*)
 

No title

どんな修行を積まれたのかと聞きたくなってしまう

僧侶の方ですね。

人を許すことのできない 人の上に立つことのできない方って

いますよね。

残念な方です。

お坊さんもいろんな人いるからなぁ


色々な意味で憤りを感じる世の中です。

少しでも 一歩でも変えていきたい。

まずはできることから。

と思います。

よっちママ 様へ

よっちママ 様

ご訪問 そしてコメント何時も有難うございます。

今朝の5時から打ち始めて ブログを更新できたのが 朝の9時前でした。

いつも夜中の12時に更新できるようにしていたのですが 今回は諸事情により遅くなってしまいました。

9時前には更新できたので ホッとしておりましたが よっちママさんが朝一番に訪問して下さっていたので

大変申し訳なく思うと同時に 嬉しく有り難く 待ちかねていて下さる人のいる喜びを 頂きました。

申し訳ありませんでした。そして本当に有難うございます。

よっちママさんは 大変幅広く沢山のブログにコメントをされていますよね。
 
あんなに凄いお弁当を作りながら ジャンルを問わず色々なブログで 励ましたり共感したり 人との繋がりをとても大

切にしながら子育て 受付嬢 PTA役員・・・・・etc本当に多彩で頑張りやでエネルギッシュな方で感服しています。

良いご縁に感謝です。でも多忙すぎではありませんか。暑い日々が続きます ご自愛くださいね。(*^_^*)

No title

こんばんは~
興味深く読ませて頂きました。

「いいお葬式でしたね」と言う言葉を、聞く機会が何度かありました。
故人を偲び、思いをはせ、最後に筆をそっと置くのを見守るような
気持ちにさせていただいたお葬式だったように記憶しています。

そんな、穏やかな流れを、寸断されるような悲しい言葉。
本来のお別れの心を理解されてない僧侶の方がおられた事に、驚かされます。

そのまわりで、言の葉さん達が、自分の事の様に心を砕き、フォローされて
おられる姿が、本当に温かく映ります。

どんな場合であっても、愛の心に立ち返れば、
全ての作法を凌駕するように思いました。

aaconee 様へ

aaconee 様
おはようございます。ご訪問そしてコメント有難うございます。

>「いいお葬式でしたね」と言う言葉を、聞く機会が何度かありました。
 
そうですね。結婚式の時も「良い結婚式でしたね」などと耳にしますよね。

「いい」と言う言葉はたったのニ文字なのに どこがどう良かったのかを端的に表すこともなく 
それでいて広く式全体を含み 全てを網羅する 単純明快でいながら深い言葉であることに
気付かされる日々です。

>どんな場合であっても、愛の心に立ち返れば、
全ての作法を凌駕するように思いました。

おっしゃるとおりですね。私もいつもそう思います。
どんな作法も手順も 人間が決めたもの 作り上げたものです。
文化として重んじることは大切ですが それのみに固執するのではなく 誤りやゆき違いがあった時
それを許し含みながら物事は伝えてゆきたいものだと思いました。

aacoさんの 《どんな場合であっても、愛の心に立ち返れば、 全ての作法を凌駕するように思いました。 》
この言葉。とっても嬉しく心に響きました。胸の中で温め続けながら人に接してゆけるように
心の宝石箱にINさせていただきました。有難うございます。(*^_^*)

No title

何をやっても気持ちが一番ですよね
お茶の先生にお作法を習うときそう聞いたことがあります
みんな同じですね

お葬式の規模や方法なんかじゃなく
どれ程の方が惜しんでくださるか
どんな気持ちでお送りするか それが大切なのに
僧侶にそんな態度でいられると
ご家族の方 ホントにやりきれない気持ちだったと思います

どんな小さな葬儀でも
心安らかにお別れが言えればいいですね

No title

つい最近、同じような思いをしました。
儀式として必要とは思いますが、レールが一本ずれている式も見受けられますね。

オレが死んだら、葬式不要・戒名不要で送り出してもらいたいと家族に話しました。

今から、遺言文章を考えております。

No title

言の葉ISさんこんにちは(^-^)

今週のブログも大変心にしみました~。
題名「真の立派さとは人が決めるもの」

本当にその通りだと思います。
私が(勝手に)生きる道標としている上司は
決して自分では権力を誇示したりするようなことはなく
いつも結果で、背中で、行動で皆にお手本を見せてくれます。

それを見ている周囲の人間は取引先も含め
すごい人だね、立派な人だね、部下のあなたがうらやましいね。。。

勝手に道標にしております、その人いわく、
あなたも私ぐらいの年齢になったらそういう風になってるよ
何も特別なことはしていないのだから
全て適当だよって。

自然に感心でき、こういう風に自分もなれたらな!って多くの人が
思えるようなそういう人が「真に立派な人」なのでしょうね。

自分もそういう人になりたいなぁ~。って思っているうちは
なれないものなのかもしれません。

ですが頭は低く視線は高く、胸を張って生きていきたいものです。

秘密のさいこちゃん様へ

秘密のさいこちゃん さま
今晩は。コメントいつもありがとうございます。何時も大きな励みになっています。

>何をやっても気持ちが一番ですよね
>お茶の先生にお作法を習うときそう聞いたことがあります
>みんな同じですね

本当にそうですよね。
冠婚葬祭を問わず 茶道 歌道 華道 香道 どんなものも心があって 心のこもった儀式となり
気持ちを込めて寝ることで美味しい一服の茶をたてることができ 歌を詠んだり 花を生けたり
香を聴いたり 出来るのであり 気持ちがなければ単なる暇つぶしと屁理屈で終わってしまいますよね。

>どんな小さな葬儀でも
>心安らかにお別れが言えればいいですね

さいこちゃんのこの言葉をあの無分別な勘違い空威張り僧侶に聞かせてあげたいです。
人生の終焉を迎えた方への敬意をこめて大切にお送りして行けるよう心したいと思います。(*^_^*)


銀蔵様へ

銀蔵様 

 こんばんは。ご訪問とコメント有難うございます。

>つい最近、同じような思いをしました。

 まあ 御不快でしたね。故人様もご遺族もお気の毒ですよね。掛ける言葉を失うとは
 こういう時のことを言うのだなあと思いましたもの。

>オレが死んだら、葬式不要・戒名不要で送り出してもらいたいと家族に話しました。
>今から、遺言文章を考えております。

 フリー司会者として葬儀の司会を務める身ではありますが 私も銀様と同感です。
 
 或る時 白木の祭壇などを一切使わず 白い菊だけで花祭壇の時がありました。
 祭壇担当者に《Tさん 花祭壇って素敵ですね。もし私に何かあったら カサブランカだけで
 花祭壇にして頂くから その時はよろしくお願いしますね」と言ったら 「でも相馬先生この菊だけで
 70万かかっています。カサブランカなら お花だけで100万は最低かかりますよ」
 「まあTさん ススキだけでいいです」そんなかいわをしたことがありました。

 数年前のNHKの全国俳句コンクールで1位になった句は
 《わが墓は ススキ一本 石一つ》でした。私もそうしたいと思っています。(*^_^*)

Kiwabuu 様へ

Kiwabuu さま
こんばんは。ご訪問とコメント有難うございます。

>今週のブログも大変心にしみました~。
>題名「真の立派さとは人が決めるもの」

 有難うございます。このような題名で良いだろうかと不安に思っておりましたので
 そんな風に思って下さったら安心しました。嬉しいです。

>私が(勝手に)生きる道標としている上司は
>決して自分では権力を誇示したりするようなことはなく
>いつも結果で、背中で、行動で皆にお手本を見せてくれます。

Kiwabuuさんにこんな風に思ってもらえる上司の方は幸せです。
そして上司をそのように思える Kiwabuuさんも幸せです。

>勝手に道標にしております、その人いわく、
>あなたも私ぐらいの年齢になったらそういう風になってるよ
>何も特別なことはしていないのだから
>全て適当だよって

 偉ぶらない 誇示しない 謙虚で自然体 素晴らしい方ですね! 

>自分もそういう人になりたいなぁ~。って思っているうちは
>なれないものなのかもしれません。

>ですが頭は低く視線は高く、胸を張って生きていきたいものです

 なりたいなぁ~と思えるのは ご自分の持つ価値観や感性が似通っているからだと思いますよ。
 身近に素敵なお手本がいらっしゃるのですから ゆったりと学びながら Kiwabuu 色の花を咲かせて下さいね。
 貴女ならきっとなれますよ。頑張ってね (*^_^*)

No title

言の葉ISさん、いつも 日本語の美しさ、難しさを感じながらここを訪問させていただいております。
私は15歳の時から海外に住んでいるので実際にはほとんど日本語を使うことはなく、ブログ始めた頃から間違いや漢字や表現が思い出せなかったり。。。
でも両親には日頃から手紙を書いていたのでブログで子供達や私の日常を直ぐ伝えられとても楽しいです。

これからも、乱文、誤字あると思いますが。。。お許しを。
そして変な所は、教えていただけると嬉しいです。  

それにしても、せっかくのお葬式も、一瞬にして空気が変るんですから。。。日頃から気をつけたいですよね。

No title

人の上に立つような人は、常に低い心でいないと
物事がうまく運ばなくなることに気づかなくなって
しまったのが、残念です。
故人を偲ぶ葬儀なのに・・・
大臣の大柄な態度テレビでびっくりしました。
九州人だからB型だからと失礼な言い訳、謝罪
発言にもびっくりで、呆れてしまいました。

No title

こんにちは。いつもありがとうございます。
神葬祭はやはり参列される頻度が仏式にくらべ圧倒的に少ないので、みんさん少々戸惑われることも多いですね。実際御奉仕していて思います。

人間を長くやっていると、どうしてもいろいろ出てきますね。内から出てくるものですから、わたしも真(まこと)の道をしっかり歩いていきたいと思っています。

カントリーママ 様へ

カントリーママ様 こんばんは。

ご訪問 そしてコメントを有難うございます。

そんなに早くから外国にお住まいだとは思えないほど きちんとした日本語でいらっしゃいますよ。

外国に住むということは 大変な勇気と努力 ことに進取の精神がないとできないことです。

その国に馴染む前に言葉の壁がありますから ご苦労もなさったことでしょうね。

でも何時拝見しても カントリーママさんのブログは 明るくて いきいきしていて 命の鼓動まで

聞こえてきそうで こちらまで元気になります。

素敵なご一家ですね(*^_^*)これからもどうぞ宜しくお願い致します。

Rin 様へ

Rin 様 こんばんは。

ご訪問 そしてコメント有難うございます。

>人の上に立つような人は、常に低い心でいないと
>物事がうまく運ばなくなることに気づかなくなって
>しまったのが、残念です。
>故人を偲ぶ葬儀なのに・・・

仰る通りですね。 日頃の寺の生活と上下関係を 人が集まるところで
威張り散らすことで 自分の身分を誇示しようとしたのでしょうが 愚かなことです。

一番大切なこと・・・・・故人をしのぶための儀式であることを忘れているなんて 呆れ果てますね。

>大臣の大柄な態度テレビでびっくりしました。
>九州人だからB型だからと失礼な言い訳、謝罪
>発言にもびっくりで、呆れてしまいました。

同感です!九州の方と全国のB型の方達に謝るべきですね。
本当はみじんも反省していなことが 言葉の端々から伝わる 腹立たしいだけの
「謝罪風 反省してる風 お詫びスタンス風会見」でしたね。
奢れる者も久しからず 春の夜の夢のごとし 終には風の前の塵になって消えました。

奢ることなく生きて行きたいものですね。有難うございました。(*^_^*) 

神主様へ

神主様 こんばんは。

ご訪問 そしてコメントを有難うございました。

神葬祭は本当に数少なく 年に2・3回あるかどうかなので 司会も緊張します。

皇室と同じご葬儀スタイルなのだと思うと 笙や竜笛などの古風な音色と

語るような音調など 優雅にゆったりと時が流れるような心地が致します。

奢り昂る勘違い大臣たちも ハラウンジャーと お清めをして頂きたいと思います。

ブログ中の斎主さんは秋田では有名な神社の 神主さんで 年末の大掃除の時

長い竹ですす払いをしている映像に必ず映っていらっしゃる方です。(*^_^*)

No title

私の年齢くらいになると自分の人生の残り時間をやたら気にしたりすることがあります。
葬儀に参列するたびに、人の無情を感じます。

それぞれの人生を歩んできての終着駅、それが葬儀ではないでしょうか。
それがどんな終着駅なのか自分で確認することはできません。
ですから残された者が勤めなくてはなりません。

一番大切なことは、故人に向かって最大の敬意を払うことではないかと考えています。
一粒の涙を流してくれる人、それが故人への最大のお見送りになるのだと考えています。

今回のお話は、一番大切なこと、一番忘れてはいけないことを忘れていたのだと思います。

Meipapa 様へ

Meipapa 様 

おはようございます(*^_^*) ご訪問とコメントを何時も有難うございます。

>それぞれの人生を歩んできての終着駅、それが葬儀ではないでしょうか。
 
 本当にそうですね。自分なりに歩いてきた道の最後にあるもの・・・・終着駅。
 深くて長くて遠くて重みのある言葉ですね・・・・・人生の終着駅。

>一番大切なことは、故人に向かって最大の敬意を払うことではないかと考えています。
>一番大切なこと、一番忘れてはいけないことを忘れていたのだと思います。

本当に仰る通りです。
銀行員が毎日たくさんの札束を見なれるのと同じように 僧侶になると毎日ご遺体を見なれてきます。
医師も看護師も あってはならぬことと知ってはいても 麻痺してくる 見なれてくる 生活の一部になってくる 
そんな感覚から慣れ過ぎて出た失態だとと思います。

人生の終着駅で最後のお見送りを受ける故人様への敬意と 天上の駅への御旅立ち・・・・・・・。
    「一番大切なこと  一番忘れてはいけないこと」を 
心に刻んでお手伝いさせて頂かなければとの思いを 改めて深く致しております。有難うございました。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: こんにちは

銀蔵様こんばんは。
早速のご返信有難うございます。
相互リンクできないことは存じ上げております。
《皆さんの為になる保険関係のリンク先で凄いなと思って知っています。》
よっちママさん aacoさん さいこちゃんと 皆さんに続いて真似をしているようですが
皆さんの事 大好きなので 私も以下同文でお仲間にいれて下さいね。(*^_^*)
嬉しいです。どうぞ宜しくお願い致します。
プロフィール

言の葉IS

Author:言の葉IS
みちのく秋田在住。
座右の銘{往く言葉が美しければ 還る言葉も美しい}
日常の小さな出来事を綴ります。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
言の葉ISカウンター
言の葉IS

FC2Blog Ranking

リンク
検索フォーム