百川帰海(ひゃくせんきかい)

百川帰海(ひゃくせんきかい)

震災からちょうど一か月がたった。
大きな道路は おおむね片付き輸送の車が通れるようになったが 住宅地はまだ瓦礫の山だ。
体育館で過ごす方々もまだ沢山いらっしゃる。
残った家に戻り生活する方々も ライフラインはまだ復旧しておらず不便を強いられている。

被災した3月11日と同じ時刻 午後2時46分 サイレンの音とともに合掌する人々の映像に胸が痛む。
大波にのまれ 家族や友を失い まだご遺体さえ見つからない方も沢山いらっしゃる。

どんなに嘆いても悲しんでも 取り戻すことのできない尊い命を惜しみ 心からのご冥福を祈り 被災地に向かって手を合わせた。

今こそ一億三千万の日本国民一丸となって復興に向けて 出せる限りの力を皆で出していかねばならないと思う
被災された方々の姿や思いは 決して他人ごとではなく 何時 我が身に起こるかも知れ得ぬ 自分の姿でもあるのだ。

テレビのフレーズのとおり (日本の力を 信じてる)
日本人の勤勉さと努力を惜しまぬ ひたむきな国民性と 過去何回も 無から立ち直ってきた 実績と歴史と誇りがある。
必ず立ち直る。 日本は 頑張れる国だ

世界中が日本に注目している。そして支援もしてくれている。有難いことだ。


学生時代手にした書物の一文をふと思い出し 久々に古い辞書を繰り読みなおしてみた。
(百川帰海)・・・・・多くの離れ離れになっているものが一か所に集まること。
 多くの人々の気持ちや考えが一致すること。

 百川(ひゃくせん)はあらゆる川 全ての川が最終的には海に注ぎ込む意から (百川 海に帰す)と訓読すると書かれている。

やはりそうだった。このような事態の時に使う言葉だと思う。
決して一人ではないよ。みんなで応援するからね。長い道のり一緒に越えて行こうね。
胸にあるのはこの思いだ。被災地という海に向かうこの思いだ。

我々日本人は国難として共に乗り越えることは当然のことだが 言葉も習慣も文化も異なる諸外国の人々も惜しまぬ支援をしてくれている。

同じ思いと 同じ願いで 千年に一度と言われるこの大災害を皆で乗り越え 海の幸に恵まれた美しい景観とともにその地で暮らしてきた人々に 笑顔と心ひららかな日常が取り戻せることを 世界中の人が心を一つに併せて祈り応援してくれている。


心を一つにして祈るこの強い祈りが どうぞ自然の営みを司る天に届き これ以上の余震や津波など悲しい事態が起きることなく 早く収まってくれますように。 合掌


最後までお読み下さって有難うございます。
毎週火曜日に更新しています。次回は四月十九日です。どうぞご覧くださいませ

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 相馬先生、おはようございます。

 震災から一カ月。まだまだ余震が続き、原発の事故も収拾がつかず、東北地方では先日の余震で停電や断水になりまだまだ震災を引きずった生活が続くことでしょう。



 地震直後は日本中の人々が一丸となって助け合い、励まし合った。大きな物語なきポストモダン社会において、今回の「悲劇の共有」こそが、失われた全体性や公共性を回復するチャンスなのかもしれないと、私は絶望の中に希望を見いだしていました。


 でもしばらくすると、次第に様子が変わって行く。無闇に安全だと叫ぶ安全厨と、無闇に危険だと叫ぶ危険厨たちの争い。反原発派と原発容認派。さらに絶対正しい情報が何処かにあると簡単に信じて何かに偏ってしまう人々。人々の情報リテラシーの欠如は思っていた以上に深刻です。


 この間、私は日本人として、いろいろと考えさせられました。私だけではなく、日本中の、いや、世界中のひとたちが、自然の猛威の前に、人類はいかに小さな存在なのかということを気付かされました。地球という視座にすれば人類の繁栄など些細なものなのかもしれません。

 そして、人は自ら生きる力を失っていたことを痛感しました。電気、ガス、水道、通信などのインフラがダウンしたため、何をするすべも失いました。コンビニやスーパーの店頭からは商品がなくなりました。普段、あたりまえのように享受しているサービスが突然、失われました。何より食料調達の不安がありました。飢えることの恐怖に襲われたのです。

 私たちは、普段、自分たちが消費する立場であることが優位であると勘違いしていました。与えられるだけの消費者は確かに無力です。例えるなら、赤ん坊のようなものです。弱者であることが特別な存在として扱われていました。これが消費者の権利となり、それが過剰なまでに保護されることになったのです。

 でも、それが生産者に対して比較優位であるということではありません。実は権利に相応する義務を負うことが求められていたのですが、こと食料については、その義務をしっかりと認識していなかったように思います。

 自分たちの食べるものに対して、関心を持ち、義務として応分の負担をすること。消費行動に対して責任を持つことが、私たちに求められています。

 これは、食だけでなく、エネルギーやインフラにも求められます。ただ便利さや快楽だけを求めるのではなく、多少の不便さは許容しても持続可能性や安全性をもとめることが必要とされているのではないでしょうか?

 相馬先生のブログを見て、そんな風に思ったりしました。


 
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Author:言の葉IS
みちのく秋田在住。
座右の銘{往く言葉が美しければ 還る言葉も美しい}
日常の小さな出来事を綴ります。

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